二宮尊徳翁ゆかりの地、成田山

二宮尊徳翁開眼の地

二宮尊徳翁開眼の地…

日本の歴史上の人物を代表する1人、二宮尊徳翁(二宮金治郎)は、天明7年〜安政3年(1787〜1856年)、類稀なる優れた才と、どんな困難・つらいことにも耐え忍び自身の思いを貫き続けた働きを認められ、小田原藩主大久保忠真候に抜擢され野州桜町(栃木県二宮町)の復興に自分のすべてを捧げました。
内外からの妨害に二進も三進も行かなくなり数十日ほど行方不明になった後、「禍を転じて福となし」にはじまる七大誓願を胸に成田山に参籠、断食水行21日、七大誓願に対して感応があらわれ、心眼開けてはっきりと理解することができたこの地こそまさに二宮哲学開眼の地であると言われています。
二宮尊徳翁ゆかりの地、成田山

二宮尊徳翁ゆかりの地、成田山

成田山新勝寺は、平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)に朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国へ遣わしたことに起源としています。乱平定の後の永禄年間(1566年(永禄9年)頃)に成田村一七軒党代表の名主が不動明王像を背負って遷座されて伽藍を建立された場所が、現在の成田市並木町にある「不動塚」周辺と伝えられ成田山発祥の地と言われています。「また新たに勝つ」という語句に因み新勝寺と名づけられました。
天明7年〜安政3年(1787〜1856年)頃、成田山新勝寺に二宮尊徳翁(二宮金治郎)は、「禍を転じて福となし」にはじまる七第誓願を胸に成田山に参籠、断食水行21日を行われ、七第誓願に対して感応があらわれ、心眼開けてはっきりと理解することができたとされており、今なお語り継がれています。
二宮尊徳翁も愛用した道中薬

二宮尊徳翁も愛用した道中薬

有名な二宮尊徳翁(二宮金治郎)も「神儒仏正味一粒丸」と、当家の薬の完成度を評され、成田山新勝寺でのご修行の当時から、道中薬として創業当時から変わらぬ「はらのくすり一粒丸」をお使いいただいておりました。
一粒丸三橋薬局

一粒丸三橋薬局

江戸元禄より一粒丸三橋薬局に伝わる家伝薬である道中薬を現在の厚生労働省認可のもと製造販売を行っております。
その当時から道中薬と言われ、成田山新勝寺に全国から訪れる旅人が、この薬を持参し服用することで何病にも良いとされてきました。現代においても、その成分と香り、薬味を保つため良質な薬草を使い創業当時の手法で製造・販売しております。